自分は自分であり、他の誰でもない

このことに気づけるのに長らく時間がかかった。

自分は自分であり、名演奏家や他のピア二ストと比較しても意味がない。

比較してしまうなら、なんでそんなに比較してしまうのかよく考えるべき。それは自信がないからだと思う。

かつての自分は、他人と比較して、コンクールに出たり、演奏中過度に緊張したりしていた。コンクールに出るのも「認めてもらって自信をつけるため」だった。

順番が逆だったと思う。

認めてもらえないとはっきりしないような自信は自信ではない。自分の方向性に迷い、どうやって弾いたら受けがいいか考えるような状態で、自信が持てるわけがない。そんな状態で「次こそは」と舞台にチャレンジしたところで、いい結果は出ない。

現代ピアノ奏法に出会って、これまでのわだかまりは、たいてい知識不足が原因にすぎないということが分かり、安堵した。これまで自分が出してきたいくつもの情けない音は、思うようにならない身体がいたずらしているのであって、まちがっても自分の音楽性によるものではないのだと、自分の音楽性を心から信じることができた。愛することができた。

そして、ただ「うまくなりたい」だけでない、具体的にどんな演奏ができるようになりたいのか、理想が徐々に見えてきた。自信がないなら、認められることより、自分の認める演奏がどんなものなのか、つき詰めて考えたほうが状況は好転する。

生涯1枚も絵が売れることなく人生を終えたゴッホのような芸術家を心から尊敬する。

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