証言からリアルなショパンをあぶりだす良書『弟子から見たショパン』

「弟子から見たショパン」

長らく読もうと思っていたこの本、ちょうど1年ほど前に増補改訂版として再版された。

分厚い本なので、難しい歴史書みたいで読み通せないのでは?と思うが、実際のところはそんなこともない。歴史的な実証・検証のために細かく注や付録がついていてページ数が膨らんでいるだけで、本文は200ページ以下だ。文体も、弟子の証言(つまり口語・会話調)がメインなので、やわらかく非常に読みやすいです。

細かい内容については本を読んでくださいということになるが、ショパンの奏法についての考え方は現代ピアノ演奏法においては大前提となっているものなので、現代ピアノ演奏法を学びたい場合には「必読」というより「必必必読」である。

ショパンの考え方についてはある程度理解しているつもりだったが、特に意外だった発見が2つ!

①声楽への愛着が非常に強いこと。

声楽への愛着が強く、イタリアのベルカント唱法を模範とし、声楽の様式を「ピアノによる朗唱法」へと昇華させた。ここでいう声楽的様式と対照されるのが、ワーグナーやベルリオーズに代表される「交響的様式」である。オペラをずっとやっていた身としては、声楽的⇔交響的という対比は新たな視点を得たような気がした。

ルビーニやラ・パスタという歌手が引き合いに出されていたが、歌手に詳しくなく、彼女らがどういった系統で、現在の歌手でいうと誰にあたるのかが分からなかった。

自分なりに対比軸をまとめてみた図が下記になる。

②ショパンの音楽は気取りや感傷とは程遠いということ

ショパンの音楽はナヨナヨしていて、気取っているように聴こえることもあるがそれはショパンの意図したものではない。

「自然さと単純さ」がキーワードとなっており、それと対比され避けられるものは「気取り、感傷、誇張」である。

演奏に基づくエピソードとして、「バラード第2番」の冒頭、ショパンは2つのニュアンス以外は一切色をつけずに演奏したという話。和音のアルペッジョは極力避けたという話。ノクターンにおける装飾音は、オペラアリアのように装飾を誇張するのでなくむしろ過ぎ去るように演奏したという話。甲高いフォルテは犬の吠え声だと一蹴したという話。音楽における文学的脚色を嫌ったという話。すべて一貫性のあるエピソードに聞こえる。

現代ピアノ演奏法的に言えば、構築しないということだろうか。指の均質を放棄し、運指にもとづく指の不均等が生む多様な響きを楽しみ、毎回異なる演奏を許容するという姿勢もまさにその点だと思う。

ベートーヴェンは徹底的に運命や社会、人生に抵抗したが、ショパンは人生を自然現象とみて、それにあらがわないように見える。こんな作曲家も珍しいように思う。

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